1976年
1月、管区総会が開催され、副管区長は池田神父、若葉修道院の院長に百村神父(管区秘書兼任)、管区会計にアンジェロ・カステロット神父、福岡修道院の院長に永富神父、修練長にヴァラルド神父、中央出版社の総務主任に谷口神父が任命された。
1月23日、パウロ家族霊性センターが設置され、各会から会員がそれぞれ2名派遣された。委員長はヴァラルド神父。
3月19日、内野進修道士と元田勝博修道士が八王子修学院で終生誓願を宣立した。同時に14名の有期誓願者が誓願を更新した。
4月18日、夫津木勇雄修道士の修道誓願25周年記念が八王子修学院で行われた。
5月10日、オーディオ・ビジュアル(視聴覚)の使徒職が若葉修道院旧1階の一室で始まった。担当は立石神父。
6月28日、修練長にヴァラルド神父、有期誓願者の指導司祭に立石神父が任命された。
9月1日、立石神父の転任により、アンジェロ・カステロット神父が視聴覚の責任者、永谷神父がその補佐に任命された。
12月1日、パウロ家族の霊性委員会の提案により、翌年を「創立者の精神を深める年」とし、月の静修のテーマを創立者のことばを通して行うことを承認した。この時から毎日の「創立者のことば」が配布されるようになった。

1977年
3月19日、八王子修学院において、高木進修道士、小川孝志修道士、橋本実修道士、田中直修道士などが終生誓願を宣立した。司式は濱尾司教。
4月21日、ベルテロ神父が来日。彼は1951年の末に帰国し、長い間イタリアのバリ修道院で志願者の係をしていたが、その後アリッチャの黙想の家に居住して教区の教会の手伝いをしていた。
5月31日、八王子修学院にルルドが完成した。2年かけて修練者、ポストランテが協力した。
11月、塚本神父は高松教区の桜町教会で奉仕する。
11月13日〜20日、第1回目の「聖書週間」が始まった。

1978年
1月7日、第三代総長のトンニ神父と総顧問のミレラ修道士が来日。
1月8日、八王子修学院で桑島神父の司祭叙階25周年記念が行われた。総長と総顧問も出席。
1月29日、ミケレ・トラポリーニ修道士が心臓麻痺で帰天。64歳。日本では1938年から1951年まで印刷の使徒職に従事していた。
3月24日、3名が修練に入った。
3月26日、八王子修学院において教皇大使マリオ・ピオ・ガスパリ大司教の司式で鈴木信一神学生らが終生誓願、阿部光一修道士らが初誓願を宣立した。
4月16日、パウロ・マルチェリーノ神父が帰天。1975年9月に東京からイタリアに帰国し、療養中であったが、脳血塞で倒れ、サン・レモの病院で亡くなった。75歳。パウロ会での生活は62年。
4月26日、ビンセンシオ・テスティ神父が、イタリアのフラグナノ・オロナにて心筋梗塞で亡くなった。65歳。パウロ会での生活は54年。日本には昭和24年から34年まで滞在し、7年間は会計、3年間はセント・ポール・ラジオ・センターの部長を勤めた。
7月1日、鈴木信一助祭が八王子修学院にて司祭に叙階された。司式は白柳誠一大司教。
7月28日、赤波江神父はEAPI(東アジア司牧研究所)での勉学のため、マニラへ出発した。
8月6日、教皇パウロ6世が逝去した。世界の和解と対話に偉大な功績を残し、平和のために貢献した。後継者にヨハネ・パウロ1世が就任したが、9月29日に逝去した。
9月、共同訳新約聖書の翻訳が完了し、発行されることになった。
10月16日、ポーランド人のヨハネ・パウロ2世が第264代の教皇として就任した。
11月3日、府中墓地が改装され、パウロ・マルチェリーノ神父、ビンセンシオ・テスティ神父、ミケレ・トラポリーニ修道士の名前も墓碑に刻まれた。また福岡に埋葬されていたプラッサ神父の遺骨もこの墓地に埋葬された。

1979年
1月10日、八王子修学院の院長に立石幸雄神父、福岡修道院の院長に夫津木昇神父、若葉修道院の院長代行に百村等神父、中央出版社責任者に山口輝男神父、有期誓願者の指導司祭に塚本孝夫神父が任命された。
3月、谷口不二男神父はローマのアンジェリクム大学で2年間の社会学の博士課程に入った。
3月25日、八王子修学院において、戸村修神学生、山内堅治神学生、阿部真理修道士が初誓願を宣立。9名の会員が誓願更新を行った。
4月22日〜28日、藤沢市聖園記念館で年の黙想が行われた。
5月5日、中村末男修道士、山内重夫修道士、牧山忠治修道士が修道誓願25周年を八王子修学院で行った。
7月、赤波江謙一神父がマニラから帰国し、9月から聖パウロ学園の舎監として勤務することとなった。
8月、前田俊郎神父は聖パウロ学園に専任することとなった。
9月、イエズス会のルーメル神父が聖パウロ学園の理事に、また同会のピタウ神父とフォス神父が顧問に就任することになった。
9月24日、マリオ・ガンドルフィ神父が総長代理として派遣され、次期日本管区長選出のため意見聴取を行った。
10月15日、日本管区第四代管区長に桑島啓吉神父が選出された。管区顧問は立石神父(副管区長)、右田拓磨神父、牧山忠治修道士、楠本正良修道士、管区会計にカステロット神父、管区秘書に前田俊郎神父が就任した。
11月、中央出版社からフランシスコ会訳の『新約聖書』が発行された。
11月5日〜8日、日本管区総会の前期が開催された。
11月6日、若葉修道院の院長に右田拓磨神父が任命された。
11月7日、松岡英治志願者が八王子の陣馬街道で、バイクで走行中、ダンプカーにはねられて死亡した。21歳。
11月17日、中央出版社総主任にパガニーニ神父が任命された。
12月19日、聖パウロ女子修道会からの要請で、来年1月から5月まで、創立者の「AD」をテキストにした創立者のカリスマ体験を東京、大阪、名古屋、長崎、仙台で行うことになり、指導のため聖パウロ修道会の司祭を派遣することとした。

1980年
1月5日〜11日、管区総会の後期を行った。
1月28日、聖パウロ修道会側の合同使徒職諮問委員会のメンバーとしてパガニーニ神父、山口輝男神父、牧山忠治修道士、山内重夫修道士、中村末男修道士が任命された。
2月24日〜4月13日、第4回総会がアリッチャにて開催され、聖パウロ修道会第四代総長にレナート・ペリーノ神父が選出された。日本から管区長の桑島啓吉神父、管区会計のアンジェロ・カステロット神父、牧山光広修道士が出席した。
3月24日、3名が修練に入った。
3月25日、杉原神学生、大山聖一修道士らが初誓願を宣立した。
11月8日、聖パウロ修道会箱根修行所が完成し、祝別された。
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