聖パウロ修道会

生涯と霊性


reisei1.jpgアルベリオーネの生家 北イタリアのクネオ県アルバに近いサン・ロレンツォ・ディ・フォッサーノ。のどかな風景が広がり、厳しい生活の中にあっても働き者が数多く住んでいる所です。パウロ家族の創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父は、1884年4月4日、貧しい農家の子どもとしてこの地に生まれました。両親は信仰があつく働き者。誕生の翌日、彼は家からかなり離れたサン・ロレンツォ教会で洗礼を受けています。

 アルベリオーネが小学生(6歳)の時です。担任のカルドーナ先生が生徒一人ひとりに「将来、何になりたいか」と尋ねます。「ぼくは司祭になります」と答え、これが最初のはっきりとした光になります。12歳になり、ブラの神学校に入る(1896年10月)ものの、1900年春に退学。仲間のだれかが教室の下から回した何冊かの本がその原因だったと自らを回想しています。それから六か月後の1900年10月、アルバの神学校に入学。ここで理想的な指導司祭フランチェスコ・キエザ神父に出会い、彼の指導を仰ぎながら、将来の活動基盤が培われていきます。

reisei3.jpgアルバの神学校 1900年12月31日の夜、聖年閉幕にあたりアルバのカテドラルで4時間にわたって聖体礼拝を行いました。新しい世紀の人々のために、新しい手段を用いて「教会に奉仕する義務」を深く感じます。この体験は、パウロ家族が「聖体、聖ひつから」生まれていく支えにもなります。

reisei4.jpgアルバのカテドラル 1907年6月29日、司祭に叙階され、ナルゾーレの聖ベルナルド教会の助任司祭として赴任。そこで少年ティモテオ・ジャッカルド(のちに司祭となり、現在は福者)に出会います。彼は寡黙な人でしたが、修道会の創立などのために、アルベリオーネ神父の右腕のような存在として働きます。1908年4月9日、アルベリオーネ神父は神学の学位を受け、アルバの神学校教授となり、種々の科目を教えます。そんな中、使徒的精神に生かされた著者・技術者・書店・セールスマンからなるカトリックの組織を作ろうと考えます。さらに1910年には、この著者・技術者・普及者は、教会のために自らをささげる修道者・修道女でなければならないと感じました。

reisei5.jpgアルバの聖パウロ大聖堂 1914年8月20日、神と教会に従うために、聖パウロ修道会を創立。最初は「小さな労働者印刷学校」という形で発足します。この日は、ローマで教皇ピオ十世が亡くなった日でした。会を始めるにあたり、沈黙と謙遜のうちに、「常に馬小屋から始める」というのがアルベリオーネ神父のモットーでした。

 また神の栄光と人々の救いのために女性の役割を重要視し、テクラ・メルロとともに聖パウロ女子修道会を1915年に創立。さらに信徒のために協力者会を1917年に創立しています。

reisei6.jpgローマの師イエズス大聖堂 創立当初、種々の困難に遭遇しました。アルベリオーネ神父とともに働いたジャッカルド神父は次のように語っています。「神の事業は、お金で始まるものではない。祈りと神への信頼で始めるものだ。神に信頼し、そして前進していく。……お金で始めようというのはおめでたい考え方だ。」

 1923年7月、肺結核の大病を患い、医師からあと一年半の寿命だと宣告され、死を覚悟します。奇跡的に治ると、「聖パウロが私を治してくれた」と感謝と新たな熱意で活動を再開しました。この時期から師イエスからの啓示「恐れるな、わたしはあなたたちとともにいる。わたしはここから照らそうと望む。罪を痛悔せよ」という言葉を、パウロ家族の各聖堂に記します。


 1924年、聖体、司祭、典礼の使徒職のために、オルソラ・リヴァータとともに師イエズス修道女会を創立します。アルベリオーネ神父は、福音的メッセージが多くの人々に伝わるために、当時、効果的だと思われた雑誌の使徒職を開始します。1912年に「ヴィタ・パストラーレ」、1931年に「ファミリア・クリスティアーナ」、1933年に「マーデレ・ディ・ディオ」、1937年に「パストール・ボヌス」、1952年に「道・真理・いのち」、「キリストと教会生活」、「ジョルナリーノ」をそれぞれ創刊しています。

 1926年にローマに修道院を設立。さらにイタリアだけではなく、海外への発展も考えました。このころ「道・真理・いのちである師イエス」「使徒の女王聖マリア」「使徒聖パウロ」への信心を高めていきます。1936年7月、ローマへ異動し、そこに総本部を置きました。「決定的な理由ははっきりしている。私たちがローマにいるのは、パウロ家族が聖座に奉仕するものであることをより深く感じるためであり、教皇という源泉から、より直接に、教義、精神、使徒的活動を汲み取るためである」と書いています。

 1938年10月には、教区司祭を助け、司牧の使徒職に従事する「よい牧者イエスの修道女会」を創立します。

 1957年に第一回の総会を開催し、アルベリオーネ神父は初代の総長に任命されました。1957年には「あるゆる使徒職のためのあらゆる召命」のために働く「使徒の女王修道女会」を創立。さらに聖パウロ修道会に併設された会【在俗会】として、〈独身男性信徒のために〉大天使聖ガブリエル会、〈独身女性信徒のために〉お告げの聖マリア会(1958年)、〈教区司祭のために〉司祭であるイエス会(1959年)、〈結婚している方々のために〉聖家族会(1970年)を創立しました。これらすべての会は、神の意志によって創立されたパウロ家族の大木とも言えるものです。

 1962年10月11日から1965年12月8日まで公会議が開催され、きちょうめんに出席しました。「広報機関に関する教令」(この教令は1963年 12月4日に発布)が討論されたときです。長年、その使徒職を手がけていましたが、終始、沈黙と祈りのうちにこの討論にあずかりました。この教令の発布は、彼の使命への教会の公式な承認であったとも言えます。

 1971年11月26日、87歳で神のみもとに召されました。亡くなる直前に教皇パウロ六世の訪問と祝福を受けています。謙遜、寡黙、疲れを知らず、「時のしるし」を読みとり、聖パウロがすべてにおいてキリストを生きたように、アルベリオーネ神父もまさに、彼の精神を生き、祈りと活動へと発展させた人でした。

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