召命─神の霊に導かれて
高木 進 修道士
聖パウロは「人の心を読みとるかたは、聖霊の思いがなんであるかをご存知です。聖霊が神のみ旨に従って聖なる人々のために執りなすからです。神を愛する人、すなわち、ご計画に従って神に召された人々のために益となるように、すべてが互いに働き合うことをわたしたちは知っています。神は、あらかじめ定めた者たちを召し出し、召し出した者たちを正しい者とし、正しくされた者たちに、栄光をお与えになっておられるのです」と言っています。(ローマ8・27─28、30)
20代の初め、左脇腹に不快感を覚え、病院に行くと、医師から直ぐ入院するよう宣告されました。
あまり本など読んだことがない私は、病室で主任神父さまから戴いた聖書などを読んでいました。ある本の中に「学問に優れ、財産は豊に、世の羨望の的になるほどの偉い人物になって、立身出世したとしても、万一永遠の生命を失ったら、それが果して何の役に立つであろうか」という言葉が、手術(腎臓結石摘出)を前にした私の心の中に響きました。
当時、市内の印刷会社に勤務していたので、何気なく家に置かれていた聖パウロ修道会の「希望の丘」と「聖パウロ会50年のあゆみ」に目を留めたことがありました。退院後、改めてこれらの冊子を読み直して見ました。早速、休日を利用し、東京・赤坂にあった修道院を訪問し、使徒職の場を見せてもらいました。自分の仕事と関連があり、福音宣教のために出版使徒職を行っていることに心を惹かれました。その時、修道会に入ろうと心に留めていましたが、すぐに決心がついたわけではありません。心の中に邪魔が入ったのです。既に家庭を持つための必要な土地を市役所から購入していました。土地購入から二年の間に家を建てなければならない、という規約があり、この時、たまたま市役所から建築施工の催促通知が届いたのです。ひとまず家を建てることにしました。
私の考えも家が出来上がるにつれて多少ぐらついてきました。別に修道会に入らなくとも家庭において信仰生活をすればよいではないか、と思ったりもしました。反面、心の片隅ではこのまま家庭生活に納まることに承服しかねていました。そこで一切の迷いを振り払い、聖パウロの宣教精神に基づいた、創立者の魅力ある出版使徒職に携わるため修道会に入ることを決心しました。パウロの招きかもしれません。
入会した当時、赤坂修道院の志願者は福岡修道院から上京してきた高校生が中心でした。この年(1968年)使徒職工場では、全会員が「第二ヴァチカン公会議公文書全集」の発行に奮闘していました。
初誓願を宣立した翌年の秋、赤坂修道院は山を背にした八王子市郊外に移転しました。「教会の祈り」は写植印字で関わった思い出深い一冊です。
終生誓願後すぐに宣教推進部に配属になりました。ここでの使徒職は版元と呼ばれ、出版社と書店を結ぶ流通経路の作業、および教会・学校などを通して、直接人びとに出版使徒職を伝える普及宣教活動の部署です。口語体のフランシスコ会聖書研究所訳注「新約聖書」の発行に併せ、北は北海道、西は広島・四国までの広範囲に渡って一般書店の訪問もしました。時には出版使徒職宣教の難しさも感じさせられるような言葉が返ってきたこともあります。「いくら内容がよくても、読者の目に留まらない本は書棚に置かない…。」また、意識せず昼の時間帯に訪問して叱られたこともありました。
教皇ヨハネ・パウロ2世が日本に来られた時、実行委員の一員として、東京カテドラル聖マリア大聖堂とミサが行われた後楽園球場(東京ドーム)で報道関係の警備に当たったこともありました。その時の印象に残るのは、教皇様が羽田空港に降り立った時、神にすべてを委ねるように地面にひれ伏し感謝をささげている姿は今でも目に浮かびます。
「昭和」から「平成」に元号が変わった年。八王子での出版使徒職工場は閉鎖し、普及宣教活動部門に携わりました。この時少しでも多くの人に聖霊の導きによって復活したキリストを知らせるために、ワゴン車に書籍・聖品を満載し、東北方面へ普及宣教に出向たこともあります。
過ぎた歳月は早いもので、いつの間にか修道誓願25周年を迎える日が来てしまいました。記念の賜物として、キリストが宣教したイスラエルの地、イタリアではパウロが斬首された記念聖堂を巡礼しました。聖書をめくる時、イスラエルでの光景を浮かべながら、キリストが話された福音をゆっくりと味わうことができます。聖霊に導かれ、完全にキリストになりきったパウロの書簡を読む時も同じことが言えます。また、自己の誉れを捨て、キリストの貧しさと愛に生きたアシジのフランシスコの地、フランスではベルナデッタがマリアの出現に応え、生涯をささげたヌベール修道院を巡礼させてもらいました。
福岡修道院に在籍したころ、キリシタン巡礼で素晴らしい信仰体験もさせていただきました。信仰生活に育まれた純真な信者さんたちの家族に出会う時、神さまは一人ひとりを愛し、共に救いの使徒職に協力させてくださっている、という実感を覚えました。
このように自分の召命を振り返ってみると、一つの病気という恵みによって私を招き、その時宜に応じて使徒職の使命を与えて下さっているのです。すべてがキリストの聖霊の働きによって生かされていることを強く感じます。1%の人間の弱さが目立って、相手の人を傷つけてしまう現代社会の中で、神さまに委ねることができる私は如何に恵まれているかを感謝せずにはいられません。
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